郷土資料館「ほろいずみ」・水産の館 公式ウェブサイト

メニュー

国史跡 猿留山道(さるる・さんどう)

猿留山道(現存区間)位置図など

猿留山道(現存区間)の位置図、山道のポイント(要所)をご紹介します。
猿留山道は山岳地帯に位置しておりますので、歩く際は、登山の装備でお願いします。
以下の資料はあくまでも参考ですので、地図・コンパスを携行し、道に迷わないよう注意してください。
猿留山道歩きは、登山と同じく自己責任でお願いします。

猿留山道とは

写真:さるるさんどう
1800年、伊能忠敬が測量した道。北海道の名づけ親松浦武四郎が探検した道。

2009年6月、えりも町はこの山道をえりも町文化財に指定しました。
2018年2月13日 国史跡に指定されました(一部区間はえりも町指定文化財)。
注意:
1)2018年12月現在、一部には標識がありますが十分ではありませんので、道に迷わないよう、地形図、コンパスを持って、地図を読みながら歩行ください。
2)山道の谷側が、ササなどが覆い斜面が見えにくく、足を踏み外すと滑り落ちる危険性のある場所もあります。頭上から枯れ枝などが落ちてくる危険性があります。自己責任で歩行ください。
3)ヒグマ、マダニ、ツタウルシ、スズメバチ、吸血性昆虫などが生息していますので、予防対策をしっかりとお願いします。


  • 写真
    沼見峠から豊似湖を望む
  • 写真
    猿留山道から百人浜・襟裳岬を望む

    江戸時代の絵図そのものの風景が広がる。

  • 写真
    江戸時代の絵図

    北海道歴検図:北海道大学附属図書館北方資料室 蔵

歴史

猿留山道(さるる・さんどう)は、寛政十一年(西暦1799年)に江戸幕府の公金で開削された蝦夷地最初の山道(当時の全長は約30キロメートル)の一つである。

当時、ロシアが南下政策を進め、江戸幕府は、蝦夷地周辺の北方警備を強化する必要があった。

当時、蝦夷地の交通手段は、その多くを和船に頼り、それは、風まかせのものであり、情報伝達手段としては、頼りなかった。

そのため幕府は、急務を確実に伝えるため陸路を整備した。その一つが猿留山道である。

えりも町字本町(旧:ホロイズミ)から海岸をとおり、コロップが山道入口、そこから現在の国道の峠、追分峠を登り、日高山脈の南端、と豊似岳の山腹をなだらかに登り下りしながら北上すると、豊似湖を見下ろす沼見峠に達する。
そこから、稜線を伝い、カルシコタンへ下がる。猿留川を越え、下ると字目黒(旧サルル)に到着する七里半の山道である。

伊能忠敬は、寛政十二年(西暦1800年)に、この猿留山道が作られた翌年に測量している。
このため、山道入口から南側の襟裳岬周辺の海岸線は、測量していない。
伊能図に記入されている襟裳岬周辺の測量は、他の資料からの引用である。

江戸時代の探検家・松浦武四郎もこの山道を歩き、多くの記述と絵図を残している。

また、多くの旅人が通過し、記述に残しているその風景は、現在でも同様に楽しむことができる.

猿留山道は、現在、国道、町道、林道などにその多くは姿を変えているが、一部の区間が復元され、国史跡に指定された。

2003年から「猿留山道復元ボランティア事業」が行われ、江戸時代そのものの風景の中を歩くことができるようになった(約7キロメートル)。
2013年からは「猿留山道を歩く会」として、町内外から多くの参加者が猿留山道を歩き、日高南部の自然と歴史を楽しんでいる。


詳細は、郷土資料館までお問合せください。

猿留山道復元ボランティア事業と「歩く会」

「猿留山道復元ボランティア事業」とは、2003年北海道太陽財団の助成金を受け(えりも町郷土資料館N42°の会)開始、江戸時代の山道を、ボランティアの手で復元し、整備する事業。
2012年、10年間の実施により、残存する区間が歩きやすくなり、山道マニヤ、山岳マニヤの方に利用して頂いています。
2013年からは、より多くの方に参加していただけるよう「猿留山道を歩く会」として開催しています。

「猿留山道を歩く会」(北海道150年協賛事業)

平成30年11月11日(日曜日)25名が参加し、江戸時代に作られた猿留山道(国史跡)を歩きました。
342m地点~ガロウの沢~沼見峠(豊似湖を見下ろす)~カルシコタンの約14キロメートルを完歩しました。
広葉樹の葉は落ち、林間を見渡せ、さわやかな気分でのウォーキングでした。
  • 写真
    沼見峠へ向かう
  • 写真
    沼見峠

    赤く見えるのはの実

  • 沼見峠
    豊似湖、日高山脈広尾方面
  • 写真
    カルシコタンヘの下り。

    稜線の上を進む。

2018年「猿留山道を歩く会(兼第27回全道フットパスの集い)」(北海道150年協賛事業)<報告>

2018年6月23日(土曜日)24日(日曜日)の2日間、国史跡「猿留山道」を舞台にイベントが開催されました。

  • 写真
    東洋地区を歩く

    えりも短角牛「守人」から岬方面へ

  • 写真
    油駒神社に参詣

    江戸時代、北前船が風待ちをした油駒を見下ろす。今は東洋漁港となっている。

  • 写真
    記念フォーラム

    古街道研究家:宮田太郎さんのお話ほか

  • 写真
    交流会

    えりもの地物で参加者をおもてなし~

  • 写真
    えりも駒踊り

    東北南部地方出身者により始められた郷土芸能。

  • 写真
    襟裳神楽

    えりも岬地区で守られている獅子神楽。

  • 写真
    えりも町アイヌ協会による演舞

    交流会の〆は、アイヌ古式舞踊、輪踊りで会場が一体となりました。

  • 写真
    猿留山道を歩く。

    日高山脈最南端のふもと、海岸段丘上を歩く。正面は豊似岳。

  • 写真
    通称「大観望」

    百人浜コース。襟裳岬・百人浜を見渡す。

  • 写真
    百人浜

    今回は途中バスで移動して、百人浜へ・・・・・

  • 写真
    襟裳岬

    百人浜コースのゴールは、襟裳岬。国名勝ピリカノカ(アイヌの聖地的な場所)の一つ。

  • 写真
    猿留山道「沼見峠」

    ここからカムイトウ(豊似湖)を見渡せる。

  • 写真
    猿留山道

    一列で進む。

最終更新日:2020年11月24日


メニュー

Close