漁業・海難関係
無始無終維徳維彰 故林重吉君之碑
建立年:明治37年(1904年)
高さ:187センチメートル
刻字:(表)無始無終維徳維彰 故林重吉君之碑
由来:
幌泉回漕組が功績を記念し、金100円を投じ記念碑を建立した。
鮫供養塔
建立年:大正10年(1921年)
高さ:120センチメートル
刻字:(表)鮫供養塔
由来:
サメ漁は、明治後半から大正時代にかけて盛んであり、フカひれは清国に輸出され、塩蔵肉は函館方面に販売されていた。鮫の供養と豊漁を祈願したのであろう。
中澤徳兵衛之碑
建立年:大正13年(1924年)
高さ:264センチメートル
刻字:
(表)
頌徳<碑文省略>
大正十三年十一月三日
幌泉郡幌泉村長勲七等鹿野約幹 選文
北海道庁浦河支庁届 北口牧 書
由来
中澤徳兵衛氏の功績を讃える碑。天保12年(1841)岩手県鍬ケ崎町に生まれ安政5年(1854)幌泉村に移住、サケ建網の改良、コンブの繁殖保護に従事、明治16年幌泉村漁業組合取締人、村議会議員として地方公共に貢献、教育の改善、産業の振興に努力し、村民をリードした功績を後世に伝える碑。
海難交通事故地蔵尊
建立年:大正12年(1923年)
高さ:73センチ
刻字:(表)大正十二年十一月廿五日建立
由来:
大正10年頃、大謀網(定置網)漁の際、突然ひかたの風(南西風)に変わり時化となり、手漕ぎの船が遭難し13名が命を失い、わずか2名が救助された。
その遭難者の供養地蔵。碑文「昭和二十二年五月建立」の地蔵とともに、不慮の事故で亡くなった地域の40数名が供養され、地域住民によって奉られている。
豊国丸殉難者追悼碑
建立年:昭和10年(1935年)
刻字:
(表)豊国丸 殉難者追悼碑
海軍中将正四位勲二等功五級四竃考輔 書
由来:
昭和4年(1929)4月22日、午前6時函館港を出港した函館市長長谷川藤三郎所有、柿野紹介扱い汽船「豊国丸(ほうこくまる)」(2,343トン、高井甚三船長以下33名)が、函館市西浜町28番地株式会社八木本店の漁夫176人を乗せて、カムチャッカ東海岸アナッターチャーへ向け航行中、襟裳岬にて暗礁に乗り上げ座礁、遭難、沈没。
22日午後8時50分札幌放送局にてSOSを受信、放送を中断して報道した。
78名が死亡、その追悼碑。平成3年に倒壊したが、台座を新しく再建した。
子授け石仏
建立年:昭和28年(1953年)
高さ:85センチ
刻字:
(表)遭難霊 第三高砂丸
由来:
子供にめぐまれない漁師の夢枕に、昭和17年遭難沈没した第三高砂丸の船頭があらわれ、「われわれは底引き漁業の操業を終わり大漁をして室蘭港へ帰途についたが途中大時化にあい白老沖で沈没し全員遭難したものです。
船員全員の供養をしてくだされば子供を授けよう。」と語った。
漁師は早速石仏一体に第三高砂丸と刻んで供養したところ、霊験まさにあらたかにしてその漁師夫婦の間の玉のような男の子が授かったという。