當世武大明神
當世武大明神(えりも町町指定文化財6)(平成14年3月20日指定)
製 作 年:慶應二年(1866年)
石 材:花崗岩
横×幅×高:62.5×58.5×87cmcm
碑 文:正 面)當世武大明神
右側面)慶應二年丙虎歳
左側面)願主 請負人 杦浦嘉七豊明
支配人 紋蔵
惣番人中
この石碑が建立されている庶野トッセプの東側は小さな湾で、日高山脈の南端が太平洋に沈む断崖(黄金道路)となっている。強風が吹いた際にも、風が弱く、船舶が風待ちができるき地形であり、江戸時代、本州と蝦夷地を結ぶ北前船も風待ちをしていたと考えられる。
願主の杦浦嘉七豊明は、幌泉場所の場所請負人二代目杉浦嘉七であり、場所の繁栄と航海の安全を祈願し、この當世武大明神を建立奉納したと考えられる。
石碑は、もともとは観音開きの石扉がついていたが、戦前戦中と周囲が青年牧場となっていた際、飼育していた馬が体をこすりつけ、石碑を倒すことがしばしばおこり、破損した。破損した扉は、石碑の左右に並べられていた(写真)。平成14年(2002)に扉などを修復した。
所有者の話によると、先代から「大切にお守りすること。」といわれており、石碑のある東側の渚にある平らな石を「神様の石」と呼び、「船から神様を下ろして、陸に上げる際、一番初めにおろしたのがこの神様の石である。」と聞き伝えている。かつては、「神様の石に乗ったり、しょんべんをかけると、おちんちん曲がるぞ!」といさめられた。
「トセップ」とは、「トシセ・プ」の訛りであり、「凸出している・もの」と解釈でき、小山、円山のことをいう。松浦武四郎の東西蝦夷山川地理取調紀行には、「トウセップ(大岩岬・穴有)是にエリモの兄弟の神在すよし言伝ふ」と記している。
この當世武大明神は、幌泉場所の場所請負人や関係者が、アイヌの伝説から神在る地点に幌泉場所の繁栄と航海の安全を祈願し建立したものであり、えりも町が江戸時代からコンブ生産地として発展してきた歴史を物語る貴重なものである。