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目黒神社境内江戸時代建立の石碑群

目黒神社境内江戸時代建立の石碑群(えりも町町指定文化財7)(平成14年3月20日指定)

目黒神社境内に、石燈篭2基1対、および社内に狛犬2基1対があり、それぞれの製作年・石材・大きさ・碑文は次のとおりである。

石燈篭(えりも町文化財指定番号7-1)

  名   称:石燈篭

  員   数:2基1対

  製 作 年:元治元年(1864年)
石燈篭(右)(えりも町文化財指定枝番号7-1-1)
石燈篭

石   材:花崗岩 

横×幅×高:43.5×43.5×136cm 

碑   文:表)奉獻  

        左)セ治人 越後鬼舞 伊吉丸

        右)元治元年

 

石燈篭(左)(えりも町文化財指定枝番号7-1-2)
石燈篭

石   材:花崗岩

横×幅×高: 43.5×43.5×128cm

碑   文:表)奉獻 

        左)□場□□□ 中村□太郎 

                金太郎 

                熊二郎

        右)元治元年        (□—解読不能文字)

狛犬(えりも町文化財指定番号7-2)

名   称:狛犬

員   数:2基1対

製 作 年:慶應二年(1866年)

石   材:花崗岩

 

 

右側狛犬(えりも町文化財指定枝番号7-2-1)
狛犬

横×幅×高:38×24.5×62cm 

碑   文:  慶應二寅年九月吉日

左側狛犬(えりも町文化財指定枝番号7-2-2)
狛犬

横×幅×高:38×24.5×62cm 

碑   文:  番家守  中村惣太郎

         宮石  熊次郎

由来

これらの手水鉢・石燈篭が奉納された時代は江戸時代の末にあたり、ホロイズミ(現えりも町)は、昆布の主要な生産地として蝦夷地の中でも特に重要な場所の一つでであった。この時代、松前藩は、蝦夷地の各場所を場所請負人に管理経営させるとともに、本州との間を北前船による交易を行なわせていた。

目黒神社は天保十三年(1842年)に、場所請負人福嶋屋杉浦嘉七が建立した。

元治元年(1864年)奉納の石燈篭にある碑文「セ治人 越後鬼舞 伊吉丸」にある越後鬼舞は、現在の石川県西頸城郡能生町鬼舞村である。江戸時代越後(現石川県)は金沢を中心に文化の発展した地域であり、上方と蝦夷地を結ぶ上で中継地点でもあり、重要な位置をしめており、廻船業も盛んであった。伊吉丸は、廻船業伊藤助右エ門の持ち船で、安政六年(1859年)に建造され、明治23年(1890年)頃まで運航していた。伊藤家では船頭水主のほとんどが雇い人であり、中村惣太郎については、鬼舞村には中村姓がないことから、後述する狛犬の碑文にある「番屋守中村惣太郎」と同一人物であり、北前船の船頭と場所請負の番人が一対の石燈篭を寄進したことがわかる。

慶應二年(1866年)奉納の狛犬にある碑文「番家守 中村惣太郎 宮石 熊次郎」から、「中村惣太郎」が少なくとも、元治元年(1864)~慶応二年(1866)の3年間は猿留(現目黒)地区で番屋の管理をしていたことがわかる。この地域は幌泉場所の一部として場所請負人福嶋屋杉浦嘉七が請け負っていた。このことから、猿留地区の大漁と航海の安全を祈願して、福嶋屋杉浦嘉七に雇われている「番家守中村惣太郎」が奉納したものと考えられる。

石燈篭・狛犬ともに、江戸時代の幌泉場所を漁場として発展させた関係者を示す重要な文化財である。